さくら荘から皆様へ

新年のご挨拶

医療法人 医仁会 理事長
 小林 豊

  医療法人 医仁会 理事長2025年メッセージ

新型コロナウイルス感染症が5類感染症になってから1年半が過ぎた。巷では「コロナを受け入れた病院は補助金で儲かった」と思われている。確かに、補助してもらって助かった。しかし、儲かっていない。そこには空床補償という立て付けの裏側がある。当院は50床の病棟を潰して30床のコロナ病棟を作った。当時、愛知県で最大である。コロナの入院受け入れを始めた時、空床補償の補助金もなければ、見通しも立っていなかった。むしろ院内感染でも起こしたら、記者会見を開く世情であったため、場合によっては患者さんやスタッフが病院から離れていく可能性すらあった。

「空床補償」はあくまでも「空床の補償」なのである。前述のように当院は30床設け、最大35名まで入院患者は上った。30床満床になって、スタッフの限界を超えた状態で20床分の補助金が出る。しかし、50床を潰して5床しかコロナ病床を設けなかったらどうなるであろうか。5名の入院で満床になり、スタッフの負担も最小限で、かつ45床分の補助金が出るのである。この矛盾、やるせない。背伸びを超えて頑張っている医療機関の方が負担も大きい上に補助金が少ない、という事実。我々がコロナの入院を受け入れて2ヶ月後くらいにこの空床補償の補助金が始まった。補助金が目当てで入院の受け入れを始めたわけではない当院にとって、この矛盾は方針を変更するには意味をなさなかった。最終的に5類に変わるまでに1460人ほどの入院を受け入れた。愛知県で最大級だろう。当院が貫いたのは、理念である。「断らない医療を通じて、安心安全な医療・療養環境を提供する」と掲げておいて、コロナは断る、そんなカッコ悪いことはうちのスタッフや創業者である先代は許さないのではなかろうか。守るべきものは、病院の存在意義である理念だ、ということを具現化したまでである。

こういうスピリットを掲げた当院が昨年の元旦に発災した能登半島地震で発災翌朝に能登へ向けて出発することは至極自然なことである。メディアも辿り着いていない発災翌日の珠洲市は、自衛隊や消防も医療機関もまともに入れていないという状態であった。爆心地の珠洲市総合病院のスタッフは、各々が被災者であるにも関わらず、発災から(メンバーによっては発災前の勤務中から)ずっと休みなく働き続けているのである。我々が到着した時、アドレナリン出っ放しの彼らの目は常軌を逸していた。直感的に彼らの身の危険を感じた。我々は彼らに「一旦休んで!」とお願いしたが、走り続けていた彼らは休み方もわからない状態になっており、右往左往している状態であった。1月2日の夜勤帯の救急外来は当院のスタッフで回すことにした。まずは強制的に彼らに休んでもらわないと、この病院の医療は根本から破綻する寸前であった。翌日の午前中には各県のDMATが入って来た。DMATに属した医師は、救急専門医以外の様々な専門の医師が多い。被災地では前述の通り、病院ないし行政が管轄する避難所も医療スタッフは走り続けているため、いろいろなところに災害医療救援のニーズがある。DMATの各医師の専門に応じて、適材適所に当たるように指示した。DMATは指揮命令に則って動いているのが強みであるが、それ故に機動力を損ねている現状もある。となると、DMATではない当院の災害医療救援派遣は、DMATよりも最前線に早く入ることですでに疲弊している被災地の医療機関のスタッフたちに寄り添うことができる。

創業時から守り抜いてきた「断らない医療」は多くのスタッフの弛まぬ努力により、堅持することができた。そして様々な形で昇華している。急性期医療、新興感染症、災害医療、死因究明。どれひとつとっても手を抜くことが許されず、それぞれが大きな社会貢献となっている。社会貢献をみんなで部署を越えてやり切る。これってカッコイイじゃないですか。それぞれのキャパシティーを越えて、やりきって来たのは、法人が一丸となってこれに向き合うからだろう。こんなカッコイイ医療機関、他にあるだろうか?私の知る限りない。今年も医療法人医仁会が飛躍しなくてはならない。患者さん、地域の方、そして何より当法人のスタッフの協力と働きかけでこれを果たしていくことをここにお約束いたします。


医療法人医仁会という会社の「あるべき姿」

医療法人医仁会 理事長|小林 豊

  理事長就任のメッセージのメッセージ

医療法人医仁会は1983年に発足しているが、その布石は1980年の「大口外科クリニック」の開院に遡る。私が赴任してきた2011年までの31年間は歩を緩めることなく、規模の拡大を図ってきた。これは地域におけるそのニーズとこれに対して絶対に「断らない」というポリシーを前理事長が貫き、前理事長自身が寝食を忘れて地域医療・地域福祉へ尽力してきた結果、いや途中経過であった。高齢化社会が急速に進行していく中で、「断らない医療」を進めていきつつ、この地域のニーズを満たしていくには、この規模は譲れない必然であった。救急を積極的に遂行している総合病院を要する医療法人が大規模福祉施設を運営している、というのは、全国でも稀有であり、これがうまく噛み合った時に、超高齢化社会に対する医療と福祉における一つの答えとなり、社会のために当法人が歩んできた道のりは、確固とした信念に基づいた「あるべき姿」なのである。

規模の拡大は人員の増員を要し、急激な増員は職員の定着を許さず、職員の回転が教育を阻み、働く者のモチベーションの維持は大きな課題であった。どんな会社でも従業員のモチベーションはテーマとして掲げられるが、当法人でも例外ではなかった。モチベーションの向上は一朝一夕にしてなるものではなく、これは環境の変化が求められた。私が赴任して、職員の集会で最初にスピーチで話した目標は、「離職率の低下」と「従業員満足度の向上」であった。他業種の企業では当たり前になっている、「顧客満足度(Customer satisfaction; CS)」は「従業員満足度(Employee satisfaction; ES)」の上に成り立つ、ということの具現化である。医療や福祉という業界は、そもそもCSのためにESを犠牲にしてきた業界であり、働く者の気合と根性で作り上げられてきた文化であった。医療福祉業界は、大きく舳先を「あるべき姿」に向けて転換することを求められているのである。

私が赴任してきた2011年は平成23年であり、平成生まれが大学を卒業して社会人としてデビューしだすタイミングであった。恐らくこのタイミングは、ESを犠牲にするということを医療福祉の業界でも見直さなければならない時期を迎えた、そういう波を感じる時代の変化であった。2015年の大手広告代理店の新入社員の過労自殺をきっかけに、時間外労働や労務環境の改善がいかなる業界にも求められ、今般の「働き方改革」にまで急激な変化を末端の企業にまで求められるところまで急変した。そもそもESの犠牲に成り立ってきた医療福祉業界は社会や経済の整備がなされないままに、このES重視の時代の波が訪れ、現場の管理・運営はその波に飲み込まれそうになっているのが、現代医療の現状である。

この度、2019年4月1日をもって医療法人医仁会理事長に着任した。この船出は容易なものではないが、8年前に私が掲げた目標が時代に合致しており、これが最優先課題であり、大願成就のための最短コースであることも確信が持たれるところである。「管理」「運営」「経営」「教育」をそれぞれにおいて「あるべき姿」を追い求めて、これを達成することは、地域社会における医療と福祉のニーズに対して、確りと永きにわたって答えていく当法人の行き先であり、私に課せられた使命であり、着任にあたっての所信である。2025年問題と言われる年はすぐそこまできている。私の会社は、2045年、2055年を見据えた地域社会への貢献を約束して、「あるべき姿」を具現化していくために歩を前に進めていく。


センター長からのメッセージ

Message from Yutaka Kobayashi

さくら総合福祉センター長|小林 豊

  さくら総合福祉センター長からのメッセージ

さくら総合福祉センターは、2次救急の総合病院「さくら総合病院」を運営する医療法人医仁会が展開する福祉サービス施設を擁しております。福祉を必要とするすべての皆さんに、いかにご満足いただくか、これが我々のテーマです。

福祉施設に求める、最も重要なことはなんでしょうか?我々はそれは「安心」と「安全」と考えています。では、「安心」で「安全」な福祉施設は、急変したり新たな病気が発生したりしやすい入所者の方々へ、迅速かつ確実な医療を提供できる環境でなくてはなりません。当福祉センターが展開する「老人保健施設さくら荘」や「有料老人ホーム太郎と花子」では、必要に応じて「さくら総合病院」を受診してもらい、その病状次第では迅速に入院して治療を行います。

またこれらの施設で急変が起きた場合は、24時間365日「さくら総合病院」のドクターカーが、消防の救急車よりも早く、医師看護師同乗で駆けつけ、その場で評価と治療を開始し、必要に応じて病院へ治療しながら搬送し、早急に高度な検査や治療を展開します。このような福祉施設は日本国内に例がなく、文字通り「日本一安心安全な福祉施設」である、と言えます。

皆さんや皆さんのご家族には、何よりも「安心・安全」な施設で余生を過ごしていただくことが、何よりの幸せであり、孝行なのではないでしょうか。